母が認知症の診断を受けて丸6年が過ぎました。
今は今は特養でのんびり安心な日々です。
特養でついに私も忘れてしまった母
でも、特養で穏やかな日々を過ごすことわずか2ヶ月で、ついに私のこともわからなくなったようです。
他の家族はとっくの昔に忘れてしまっており、最後の砦だった私の顔も名前も消え去って、「奥さん、奥さん」と呼ばれると・・・悲しいとまではいかないけど、それなりに気抜けした感があります。
先日、母の誕生日に小さな菓子を持って面会に行きましたが、すでに美味しいとかいう感覚や表情は無くなっておりました。
まぁ、これが認知症であり、老化であり、人の最期なのだとわかってはいるけど、なんともこの世は無常なものです。
あの感情起伏は母の自我の叫びだったのか
今になって頭に浮かぶのは、認知症初期から中期の3年ほど、母の感情起伏が激しくなり、人格が変わったかのように怒り散らしたり、体の不調を訴えて毎日、科を変えて病院に連れていった激動の日々。
もしかすると、あの狂ったような激しい感情起伏は消えてゆく母の自我の最後の足掻きだったような気がしてしまうのです。
そしてその嵐と共に消えた母の自我・・・今は自分の意思や感情はほとんど見られなくなりました。
ある程度認知機能が衰えると自我の感覚は消失するのかもしれません。
生まれたばかりの赤ちゃんも多分、当時は自我とか自意識は無いはず。
認知能力が発達していくにつれて、いつのまにか表出する自我と意識。
自我意識が発達していく子供時代と逆回しで認知症は人の自我意識を消していくような気がします。
元気だった頃の母を思うと・・・
そして今、思い出すのは元気で活発だった母と一緒に過ごした子供時代。
あの頃の母に会うことはもうできないんだな・・・と思うと、記憶が消えていくことの悲しさが実感されるのです。
かく言う私だって、あと何年、自我意識を確保して自分の人生を生きることができるか?といえば、そんなに長くないかもしれません。
少なくとも、今の小学生や中学生よりはずっと先が短いわけですので、あれこれ考えたり、思い悩むことさえも、ある意味幸せなことなんですよね。
とりとめのないことを考えつつ、しんみりした寒い初秋の朝でした。