最近になって、認知症の母の元気だった頃のことが思い出されてきます。
きっと母の誕生日の10月が近くなってきたからでしょうか?
元々の母は活発で元気な人だった
認知症が進行した今は特養でしばし穏やかな日々を過ごしている母ですが、元々はかなり元気で、強気な昭和の母タイプだったんですね。
いろいろ小さなことで考え込む私や弟など兄弟は何かにつけ、母に相談したもの。
そんなとき、からっと「気にしなくて大丈夫!大したことないじゃん」と言ってくれる母の言葉で大いに元気づけられたものですし、実際そうやっていくつもの困難も乗り越えてきました。
わりに外交的で、近所のおばさん仲間とも旅行したり、お茶のみしたり、世間話したり・・・活発で楽しい人生を謳歌する大らかな人だったんです。
体調不良で病院通いが認知症の始まり
それが5年くらい前から、やたら体の不調を訴えるようになり、病院通いの日々が始まりました。
今日は腰痛で整形外科、明日は入れ歯がおかしいので歯医者、耳鳴りもするような気がする・・・といった感じで、1週間に5件の医院に通院とかしたこともあったほど。
同時進行で、非常に愚痴っぽく怒りっぽくなっていきました。
口を開けば誰かの悪口や怒りを口にするので、「人生、感謝の気持ちを持たないと救われないよ・・・」などまるで聖職者みたいな小言を言ったこともあります(^_^;
また、風呂に入るのを渋るようになったり、好きだったドラマも口汚く文句を言って見なくなるなど、だんだん存在そのものがうっとうしくなってきたものです。
昔の意地悪ばあさんは多分認知症
思うんですが、きっと昔の意地悪ばあさんとか姑は実は認知症だったのではないか?と思います。
嫁の悪口を言ったり、辛く当たったりするというのも、おそらく認知症による人格崩壊のせいでしょう。
実の子供でさえ、認知症の母に八つ当たりされていいかげんうんざりしましたので、嫁の立場がよくわかります。
最後の頃は一日おきに「私、ここが変なんだけど癌だと思うんだ」と変な思い込みで騒ぎました。
同居家族とすれば「ああ、また始まった・・・」みたいな感じで、スルーしてましたが、今思えばかなり精神的にはハードだったと思います。
そしてやがてトイレに2時間以上こもるようになったため、これ以上自宅で介護は無理ということでグループホーム入居に踏み切ったのでした。
そして今は無感動になった
施設入所当初は「家に帰る!」と怒っていましたが、だんだん認知症が進むにつれて、家のことも言わなくなり、だんだん穏やかに・・・そして無感動になっていきました。
今は面会に行っても、多くを語ることは無くなりました。
差し入れのどら焼きも「甘いね・・・」と言うだけで美味しいとか楽しいとかはありません。
病院通いは母の自我の最後の叫びだったのかも
気がつけば、自分の体の不調についても全く言わなくなっておりました。
というか、自分の不調を認知できるレベルでは無くなってしまったといったほうがいいかもしれません。
認知症ですから、記憶も消失しますが同時に母の元々の人格というか自我そのものが抜けてしまったかのよう。
今になって思うのは、あの不調で大騒ぎした日々は母の消えゆく自我の最後のあがきだったのかなぁ?ということです。
多分、認知機能があるレベル以下に低下すると自我の感覚も無くなるのだと思います。
まぁ、生まれたばかりの赤ちゃんにも自我は見られませんが、だんだん成長し、認知機能が発達するにつれて自我が表出するのですから、その逆と思えば納得できますよね。
自我は認知機能が高まると発生する?
そう考えると・・・自我は認知機能を高めていけばある時点で発生するものだという仮説を立てられます。
だとすれば、今流行のAIにも認知機能を付加し、膨大なデータを読み込ませていけば同様にある種の自我発現があるのではないか?なんて想像が膨らみます。
認知の発達の度合いによって、そして経験データによって世界に一つだけの人格が形成されるとしたら、我々一人一人はどれだけ奇跡なんだ?ってことだよね。
とりとめもなく想像は広がっていきますが、できるなら母の元の自我にもう一度会いたいな・・・と思った、ちょっと切ない秋の夕方でした。