今日は二ヶ月ぶりに美容室に行くことにしました。
来週はいろいろ予定が詰まっていますので、行けるとすると今日か、明日の10時過ぎしか時間がありません。
電話予約で聞いてみると、明日は担当の人がいないので、急きょ、今日午後から予定を取ったのです。
夏に向けて、前下がりボブというやつですかね?
短めのボブで首回りすっきり♪
でも、美容室は結構時間がかかります・・・
カットとヘアマニキュアだけなのに2時間かかりました。
で、帰宅すると・・・
留守番していた母が心配して騒いでいて、ムカッ!
確かに母は初期のレビー小体型認知症ですが、一人でいられないほど重症度が高いわけではありません。
結局のところ、昔から(認知症が出る前から)子供の帰宅時間に神経質な性格なんですよね。
歳を取って、さらに心配性が加速したというのがホントのところだと思います。
でも、これって同居の子供にとっては一番、頭にくるところ。
同居してやってるだけでも感謝せいってくらいなのに、
いちいち心配されるのが超うざい(怒!)。
心の中で「早く死ねばいいのに」と思わず毒づいてしまいました。
もちろん、我慢はせず、
「心配されるのが一番迷惑だから!」と厳しく言い放ったのでした。
高齢の親との生活なんて、我慢は禁物です。
いらっとしたら、ビシッとぶつける・・・のがストレスを貯めない方法。
でも、こうした日々を送ることで、つくづく実感したことがあります。
それは今日のタイトルの「自立した老人を目指そう」ということ。
老人になれば、気も弱くなり、濡れ落ち葉のように子供や周りの人間に寄りかかりたくなるでしょうが!
寄りかかられた嫌な経験からすると、なによりそれはしてはいけないことと感じるのです。
だから、目指すは「自立した老人」。
とはいえ、偉そうに言っている自分だって、もしかすると認知症で自立できなくなることもあるかもしれません。
でも、できるだけ長く、正気の間は自立した老人でいる努力をしたいです。
そして、老人の心構えとして「自立した老人であれ」ということが世間に広まって、常識になればいいなと思います。
せめて、周りの若い人に憎まれる老人にはなりたくないですからね。
たとえ仲の良い身内であったとしても、相手に過度に依存した生き方は相手の心に憎しみを呼び覚ますものです。
結局のところ、人間も生き物ですから道徳的にいつでも高潔なわけではありません。
いろんな矛盾を抱えながら人生は続いていくのであり、嫌な思いをするのも、これまた人生の修行というか、欠かせない一面なのです。
老人学とか、高齢者の心得みたいな書籍とか、講座ができるといいですね。
とまぁ、さんざんブログに愚痴ったせいか、気分はかなり落ち着いてきました。
毒づいても、親といる時間はあと、大して長くはないでしょう。
気を取り直して、明日は明日の風が吹く・・・
とつぶやいてみる、ちょっと蒸し暑い初夏の夕方でした。