
今日は月に一度の母の病院通院の日。
高齢ですので、基本家族が薬の処方箋受け取りに通院しています。
まぁ、80過ぎればボケっていうのはあるものですし、ね。
予約なので診察自体はあまり混まずに診てもらうことができます。
診察室前の長椅子に他の患者さんたちとともに座ってしばし。
まわりは私と同様に、高齢の親に付き添う昭和乙女世代の子供というパターンが多いです。
日差しが背中側から差し込んで、診察室の壁に明るく自分たちの影が映っているのを眺めていると不思議な気分になってきました。
病院は老人病院ですが、内装もリノベーションされて明るいロビーに広い廊下。
最近の病院はインテリアも明るいカラーですので、昔のような暗い、冷たい感じではありません。
そんな明るい病院に、あまり治る見込みのない高齢者とその付き添いがぼんやり座っているのです。
待っている間も暖房はしっかり効いて、快適な環境なのは患者&身内にとっては助かります。
なんていっても、気分が凹みませんからね。
でも、私達が若かった頃、このような物忘れ外来に親を連れてこんなに大勢、待っている状況を想像できたでしょうか?
当時は、自分たちが若かったこともありますが、
高齢者の物忘れなんて事情は遠くにあるものでした。
もちろん、祖父母は亡くなる数年間は、ボケたとか意味不明だとかいう連絡は親戚からきましたけど、なにせ子供が多い時代の親です。
同居の叔父とか近くに住む親せきが多いので、私達核家族はあまり関わらずに見送ることができたのです。
でも、現在そしてこれからは、子供の数が少ない時代ですので、どんどん物忘れ病院に行く親子が増えることでしょう。
つまり、誰もが認知症の親とか身内に関わらざるを得ない時代になりつつあるのです。
病院自体は進化して、明るく心地よくなっていますけど、その中で老いていく自分の親、ひいては自分の未来を俯瞰するのはとても奇妙な感覚でした。
悲しいというわけではなく、かといって幸せというわけでもない・・・
ただ淡々と流れていく年老いた時間があるだけでした。
こういうのが、人生で社会のために働いてきて最後のただ穏やかな日々というのかもしれません。
それがいいのか、悪いのかはまだ私にはわかりません。
自分がこうなる前に、存分にやりたいことをしておきたいな・・・
と思った、ちょっと物思いの午後でした。