先日、友人としばらくぶりにお茶した際に話題になったことで、「運命の人」関連があります。
我々昭和乙女世代ともなると、いままでの人生で出会った人が時系列的にインプットされておりますので、
いまなら誰が「運命の人」だったか、あるいは一番運命の人に近かったか?が判定できるのです。
乙女の時代はまだ未来がわかりませんし、出会った人の数も少ないので比較できませんよね(笑)。
そして面白いことに友人も、私も
「運命の人」は意外に彼氏として意識してない人だったり、なんとなく疎遠になってたりするのです。
つまり、あまりに気を使わなくていい相手だったり、居心地が良すぎて異性として意識しなかったということなのかもしれません。
っていうことは、
現世ではいまのとこ、「運命の人」とは残念ながら人生を共にできなかった(涙)・・・
ということになります。
「今思うと、魂の片割れだった感があったよね」
っていまさら言ってるのはさすがに情けないですけど。
こう考えるとガラスの仮面で一躍有名になった「魂の片割れ」ですが、
実際はマンガのように魂の片割れに激しく恋するって無いんじゃないかな、
と思います。
で、その魂の片割れ、巡り合うまで何回も生まれ変わって時間の中を旅する・・・
というわけなんですが、友人と私は
「巡り会っても、気が付かないんじゃ、永遠に魂の片割れ追いかけるってエンドレスなかなわぬ夢」
と結論づけたのですが、みなさんはいかがお考えでしょうか(笑)。
その昔、象の墓場がある(象牙の山がある)という言い伝えがありました。
ホントかどうかは別にして、かなわぬ夢のような言葉です。
「運命の人」も同じようにかなわぬ夢、なのでしょう。
そこに潜むのはそこはかとない悲しみ。
若い頃は期待感いっぱいの明るい言葉だった「運命の人」がほろ苦く感じられるのも人生の妙なのです。
今日はどんより雪雲のような天気。
とりとめもなく思いをめぐらせる、ちょっと詩人の管理人でした。