何年か前、みかん好きのヒヨドリに1日2房のみかんをプレゼントして楽しかった思い出があります。
ヒヨドリの突然の旅立ちで、みかんの餌付けはストップしていたのですが、またクリスマス前後から、みかんプレゼントをしてみたことがあります。
確かに、毎日みかんは消えるのですが、前回のヒヨドリに比べると今回のは、
いまひとつ、食べ方がキレイでないんですね。
初代ヒヨドリは3羽の家族で、最初にボスがあらかたつつき、次のママ?が少々いただく。
最後に小さなコドモヒヨドリがきれいにたいらげる感じで、食べた後が気持ちいいくらいキレイでした。
ところが、今回のヒヨドリはみかんを落としてしまうし、散らかすし・・・
最後は残すことないんですが、どうやら1羽が食べ散らかしているみたいです。
ということで、みかんプロジェクトは止めました。
鳥に礼儀を説くわけじゃないんですけど、あげたものをきれいにいただかないのは、気分が悪いからです。
ふと、頭に浮かんだのは
これって、もし神様がいたとしたら、ご利益も同じようなものかもしれないよね・・・
っていうこと。
畏れ多くも神様目線で考えると、やっぱり与えられた幸運をきれいに食べつくして感謝の気持ちが現れないと、イヤになるんじゃないかなぁと思うわけです。
人でも、ヒヨドリでもペットでも!
あげたものをきれいに食べてくれると気分がいいですよね。
つまり、幸運の受け取り方ってあると思うのです。
あと、やっぱり欲しいものがあったら、
「欲しいです!」ってアピールする
となんとなくかわいくなってきませんか?
幼い子供にねだられると断れない、あの気分です。
神様はそんな小さなこと気にしないっていうのもアリかもしれないけど、私的には神様気分って、子供を見守る親の気分なんですねん。
そうはいっても、私自身は甘え苦手な人間です。
幸運の受け取り方がヘタなほうだと思っています。
少し、もらい上手になろうかな・・・と思う雨の夜でした。