今週も、宮崎駿監督の新作「風立ちぬ」が週間興業成績1位を続けています。

もうご覧になりましたか?


いままでもジブリ作品には多くの戦争が表現されています。
もののけ姫やハウルでも示された悲惨な戦いは、戦争はつらいものだと
いつも再確認させられますよね。

でも、今回は、現実に存在した第二次世界大戦と、戦闘機ゼロ戦が
クローズアップされているのです。

私達日本人にとって、第二次世界大戦やゼロ戦は敗戦という結果以上に、
特攻隊やひめゆり部隊、そして原爆の記憶へと、考えるのもつらい悲劇でもあります。

そして、その悲劇性ゆえ、無意識に考えないようにしている一種のタブーのような存在ではないでしょうか。

今回の映画では、ゼロ戦開発にスポットを当てることで、私達の心の奥に仕舞い込まれた無意識の悲しみを浮かび上がらせている・・・そんな気がします。

映画の内容は(ネタバレにならないようここまでです・・・)、ゼロ戦開発に情熱を燃やす若き技術者の「飛行機を作る!」という情熱と妻との愛情が丁寧に描かれています。

彼は、ただ「飛行機を作りたかった」、そしてそれを成功させました。

「美しい飛行機」にこだわるのは、自分の作品への愛情なのでしょう。
兵器として考えるなら、美しいという言葉は似あいません。

でも、成功したのだけど、澄んだ悲しみがあります。

この映画は、映画と私達一人一人の心が響きあって重なっていく交響曲なのかもしれません。

ただ、深い悲しみの余韻に浸っていると、「生きねば」って言葉はちょっと場違いな気がしてしまうんです。

愛する飛行機を失い、愛する妻を失い、そして多くの若者の命も失ったわけですから、もっと悲しみや無常観に包まれる時間が必要なはず。
いや、もっと深く悲しんでいてもらいたいと個人的には思ってしまうのです。

深い悲しみを超えた後に「生きよう」という自分の声がするんだから、周りから
このセリフは余計なことだと思うんですよね。

せっかく、淡々と描くことで、私達の心を揺すったわけですから、
そのまま・・・とってつけたような「生きねば」無しで、
静かにフェードアウトでいいんでないかい?